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(コミック)大長編ドラえもん-3 のび太の大魔境

2005/09/30 22:11(ドラえもん

残念ながら、ジャイアンの真の侠気に触れる事が出来る作品はこれが最後となる。
以後の作品において彼が侠気を見せない訳ではない。
しかしこの作品も含めた過去3作品で見せたような真骨頂が発揮される場面はない。
非常に残念な事ではあるが、今回の作品ではそれを補って余りある侠気を見せてくれた。
まさにこの作品は、彼の引退コンサートに相応しいものとなっている。

過去の2作品で白亜紀中期、宇宙の彼方と冒険を繰り広げてきたドラえもん一味は、次の冒険の舞台として現代の地球に白羽の矢を立てる。

ジャイ&スネに魔境探しの依頼を受けたのび太は、ドラえもんと共に衛星を打ち上げる。
そしてついに、アフリカ大陸に目指す魔境を発見する。ヘビースモーカーズ・フォレストがそれだ。

ジャイアンをリーダーとするドラ一行は魔境へと歩き出した。
しかしのび太は0点の答案を隠しに戻る、スネ夫は上級フランス語講座のビデオ予約に帰る、しずちゃんはウンコだかオシッコだかで去って行く。
その後、色々あって一時探検を中断する事になるが、再びジャイアンをリーダーとした探検隊が結成される事になる。

その際、以前の探検ですっかり気分を壊されたジャイアンは、これまで幾度と無く自分達の身を助けてくれた便利グッズを、全て空き地の土管に置いて行くように強制する。
こうして何の武器も持たずに探検に出発するドラ一行だが、これはジャイアン贔屓の俺から見てもバカな行為だ。何も起こらない訳がない。だって大長編なのだから。

まずワニに襲われる。
逃げようにもタケコプターは土管の中だ。空気砲もスモールライトも無い。どこでもドアで日本に帰ろうとしたが、何故か焼けて無くなっていた。

絶体絶命という時、辛くも現地の一族に助けられる。
ちょうど聖なる神の祭りが執り行われいる最中だったので、ドラ一行もご馳走でもてなされるが、ジャイアンの不用意な一言で追い出される。
唯一、ドラえもんが被っていた探検帽子がテントになるので、夜のジャングルを彷徨う事だけは避けられた。

安心したところで皆の愚痴が炸裂。
風呂に入りたい。腹減った。ママ心配してるかな。
別にジャイアンを責めていた訳ではないのだが、責任を感じていたジャイアンは自分に向けられた言葉と判断し、かんしゃくを起こしてしまう。
以後、ジャイアンは殆ど口をきかず、無口になる。

目的のヘビースモーカーズ・フォレストに到着。
そこでは犬族達との戦いが待っていた。
追放された王子ペコと共に武器も無く戦うが、相手は火を吐く車、空を飛ぶ船を持っている。初めから勝負になるはずも無く、あっけなく追い詰められる。

「勝負あったようですね」

これ以上外国人であるドラ一行を巻き込む訳には行かない。ここは自分が食い止めるから。
そういい残してペコはジャングルの奥に消えていく。

あとを追うべきか、このまま脱出するべきか。悩むドラ一行。
こんな時、行くべき道を指し示してくれるのは、いつだってジャイアンだった。

「ペコだけじゃどうにもならん。俺も行くぜ」

「ばかな。死にに行くようなもんだよ」

仲間達の制止を振り切り、勇ましい背中を見せてジャイアンはペコの後を追う。

「ジャイアン!」

「やめろ。帰ってこいよう!!」

ジャイアンの歩みは止まらない。

便利グッズをおいてこなければ、ここまで追い詰められる事は無かった。仮に勝てないまでも、もう少し善戦は出来たのかもしれない。
その責任は自分にあるとジャイアンは感じていた。この責任を取るためには、自分はここで命をかける必要がある。そう判断したのだろう。

最高にかっこいい。号泣せずにはいられない。十歳のお前が行ってどうなるものか。そんな心無い事を言ってはいけない。
考えてみれば彼はいつだってそうだった。窮地に陥った時、仲間が悩んでいる時。行くべき道、とるべき行動を自ら示してきたのが彼だ。
なぜしずちゃんはジャイアンに惚れないのだろうか。
俺が女だったら間違いなくジャイアンにやられる。しずかちゃんは迷うことなくジャイアンを求めるべきだ。のび太なんかを求めている場合ではない。

こうしてジャイアンの活躍は終わった。
もう二度と侠気溢れる彼に会うことは出来ない。
寂しい気もするが、学ぶべき事は学んだと思う。ここは笑顔で彼を見送ろうではないか。

さようならジャイアン(十歳)。俺は君の事を忘れない。君の勇気、君の優しさ。
そして俺だけは理解している。
大長編ドラえもんにおける隠れた名優、ジャイアン(十歳)という偉大なヒーローの事を。

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(映画)ドラえもん-2 のび太の宇宙開拓史

2005/09/25 21:21(ドラえもん

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大長編ドラえもんの中で、のび太の恐竜を最高傑作に挙げる人は多いが、俺としては宇宙開拓史の方が確実に面白かった。

おかしい。原作では宇宙開拓史はそれ程好きではないし、逆にのび太の恐竜は最も好きな作品なのに。原作とアニメで正反対の結果が得られるとは。
この差は果たしてどこにあるんだ?
やはりのび太の恐竜(アニメ)を見た時に感じた、俺が知っているドラえもんとは違う雰囲気が許せていなかったのか。

ともあれ、今回はジャイアンの侠気がカットされていなかったのが何より嬉しい。
ただ、やっぱり原作とは描かれ方が違うので、ジャイアンの侠気に重きを置いていた俺としては不満が残る。

初めてコーヤコーヤ星に行った時、ガルタイトの奴等に脅されてスタコラ逃げ帰ってきたジャイ&スネのくせに、のび太とドラえもんがそのガルタイトの本拠地に乗り込むというのを聞いた時、「おう、スネ夫、行くぞ!!」
と、何の躊躇も無く走り出してしまう。恐怖心以上に友達が大切だった、と言えばそれまでだが、これではただの向こう見ずではないか。

それじゃダメだー。ここは原作どおり「本当はすごく怖いな。行きたくないな。だけどここは友達のために一肌脱がなきゃなんねぇ。今までのいざこざなんか関係ねぇぜ!」
そういう葛藤を見せた後で、意を決したように走り出して欲しかった。
なのになぜ素直にそうしないかな。またまたシンエイ動画。

あとはのび太とギラーミンの一騎打ちがカットされていたのは惜しいところだが、名曲「心をゆらして」にのせての別れのシーンで救われた。終わりよければ、と言うやつだ。

一方で許せなかったのは、その別れのシーン。
自室の畳とコーヤコーヤ星との距離がものすごく離れてしまい、地球に戻るための入り口が遥か遠くに見え隠れするという状況。果たして無事に地球への入り口をくぐる事が出来るのか。
しかしドラ一味は、そんな俺の心配をよそに、普通にタケコプターでプタプタ飛んで帰ってしまった。
今までの苦労は何だったのか?ドラえもんにおいて細かいところを突っ込むのはナンセンスとされているが、これには度肝を抜かれた。宇宙空間をタケコプターで飛ぶなと言いたい。

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(コミック)大長編ドラえもん-2 のび太の宇宙開拓史

2005/09/22 12:24(ドラえもん

大して好きな作品ではない。よく分からないが、何だか感情移入が出来ないのだ。
「のび太の恐竜」にはワクワク感があったのに、この作品にはそれが感じられない。
従って感想は無いのだが、それでもやはり、この作品におけるジャイアンの侠気にだけは触れておかねばならない。

いつもの空き地を中学生達に占領され、野球が出来なくなったと嘆くジャイ&スネ。
そんな2人に、野球が出来るスペースの確保を強要されたのび太は、タイムリーな事に、自室の畳の下がコーヤコーヤ星との連絡口になった事を知る。
連絡口をくぐると、そこには広大な大地が広がっていた。野球をやるには十分過ぎるスペースだ。
のび&ドラはいつものメンバーをその星へ招待する。

しかし問題勃発だ。
コーヤコーヤ星は重力が非常に小さいため、まともな野球など出来るはずが無かった。おまけにヘンテコな敵に襲われ、危うく命を奪われそうになったジャイ&スネは、のび&ドラに散々悪態をついて、地球に帰ってしまう。
その事件以降、のび&ドラとジャイ&スネの友情にヒビが入り、物語終盤までずっと仲違いした状態が続く。

そして物語は佳境へと突入。
のび&ドラは異星の友人を助けるため、二人だけで強大な敵に挑む事を決意した。
成り行き上、その場に居合わせたしずかは、ずっと仲違いしていたジャイ&スネに応援を求める。
初めは頑なに態度を崩さなかったジャイ&スネだったが、のび&ドラが勝ち目の無い戦いに挑んでいった「死地におもむく勇者」である事を聞かされると、ジャイはバットを片手に走り出した。スネも後に続く。

そしていよいよクライマックス。
のび&ドラが絶体絶命の瞬間。颯爽とジャイが現れるのだった。
「おう、のび太無事か。そのでっかいやつはまかしとけ」
のび&ドラ。抱き合い、涙を流しながら一言。
「やっぱり・・・・・・、みんな友だちだったんだね」

ブラボー!! 素晴らしい友情だ。
もう何も言うことは無い。ここまで王道的なストーリーで攻められてしまった以上、抗う術はない。素直にそのレールに乗るより他に方法はないのだ。

俺はジャイアン(十歳)になりたい!のび太でもスネ夫でも、もちろんしずかちゃんでもなく、ジャイアン(十歳)になりたい!
ドラえもんは、なりたいというより欲しい。

ジャイアンには学ぶべき事がまだまだある。これからも目が離せない存在になりそうだ。

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(映画)ドラえもん-1 のび太の恐竜

2005/09/21 21:04(ドラえもん

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あの曲は1作目の映画です。
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原作の大長編ドラえもんは読んだ事があったが、アニメの映画はいまの今まで観た事がなかった。
でも俺の大好きなドラえもんの事。きっとアニメの映画も面白いものだと信じて疑わなかったが、ちょっとガッカリだ。

原作と映画が違うのはよくある事だ。と言うよりは、一冊の本を2時間そこらにまとめなければならないのだから、違って当然なのだ。
ましてドラえもんの映画はアニメ。通常の映画より短い(90分くらい)から尚更なのかもしれない。

だからいちいち細かい点を、重箱の隅を突付くように突っ込みたい訳ではない。
ドラえもんの声が異様に高いのも許せる。のび太のノリが変な感じなのも仕方がない。しずかちゃんが全然かわいくないのも当時のレベルでは頷ける話だ。
だが原作を削るにしても、普通は不必要と思われる箇所を本編に支障が無レベルで削るものだろう。
それがどうだ。不必要と思われるどころか、この作品のキモになっている全てのシーンが原作からカットされているのはどういう訳か、シンエイ動画!?

少なくとも原作の大長編シリーズでは、大抵の場合、誰かが何かしらの役割を担っている。活躍シーンがあるのだ。
ドラえもんとのび太は言うに及ばず。数え上げればキリがない。彼らの場合はその存在自体に意味があるからだ。
あえて個人的な意見を言うなら、焚き火を囲みながら一億年という時間を皆が考えるシーンだ。
ここでドラえもんは、一億年という時間の距離感を人類の歴史を振り返りながら上手に説明してくれた。
実際俺もその説明で、一億年という果てしない時間に思いを馳せる事が出来た。最も好きなシーンの一つだ。しかしこのシーンはカットされていた。
更に言うなら食糧問題は?原作では植物や魚、果物などを集めて加工、缶詰にしてスマートに解決していたではないか。それなのに。やい!いつまでカップラーメンを食ってるつもりだ?

スネ夫はどうだ。
タケコプターを効率よく稼動させる方法を提案した。この提案によって、日本への旅が一気に現実性を帯びてきたのではないか。
しずかちゃんはその優しさをいかんなく発揮。
ティラノサウルスに襲われそうになったブロントザウルスの子供を身を挺して助けた。
幸いこれらのシーンはカットされていなかったが。

しかし問題はジャイアンだ。
この映画で彼の活躍シーンがどこにあった?
ひたすら文句を言いまくる。歌を歌ってティラノサウルスを呼び寄せる。悪者に捕まって涙と鼻水を流して泣きじゃくる。ロクな事をしていない。これでは彼の存在理由が全く無いばかりか、ハッキリ言えば邪魔だ。
俺が観たかったのはこんなジャイアンではない。
原作ではプテラノドンの大群に襲われた時、のび太に助けられた義理を返すために、己の命を顧みず悪に立ち向かう屈強な精神力を見せた。
この作品の一番の見所、いや、このシーンが無ければこの作品は成立しないと言っても過言ではない。

なのに!そのシーンが無いではないか!
お前らはバカだ!制作サイドがユーザーの求めるものを理解出来ていなくて、どんな良いものが作れると言うのか。
しかも藤子・F・不二雄先生は何故これを受け入れたのか。何か抗う事が出来ない大きな力が働いていたとでも言うのか?

俺は非常に怒っている。
今ではなく、もっと年を重ねた俺が観ていたら「あぁ、こんなものだろうな」それで済んだ話かもしれない。
しかし今の俺はダメだー。それでは済まない。
この映画を観た事で、俺の心の中にあった美しい思い出が「それは嘘だったんだよ、バーカ!」そう言われた気がした。
こんな事になるなら一生観ることなく「きっと面白いんだろうな、うふふふ」と想像の世界で脳内補完していた方が良かったかもしれない。

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(コミック)大長編ドラえもん-1 のび太の恐竜

2005/09/21 20:58(ドラえもん

記念すべき第一作目の大長編ドラえもんだ。

誰もが感じている事なので今さら書く事もないが、これだけは言いたい。
大長編ドラえもんでの一番の見所はジャイアンをおいて他に無い。これはマジだ。
俺が大長編ドラえもんを読む理由、それはジャイアンの熱過ぎる侠気に触れたいからだ。
それは、この第一作目から始まった。

白亜紀中期から現代へ戻るためにタケコプターで日本を目指すドラえもん一味が、プテラノドンの大群に襲われるシーンだ。
プテラノの一撃で頭のタケコプターが外れてしまったジャイアン。
落下していくジャイアンの手を間一髪で掴んだのがのび太だった。
しかし元々調子の悪かったのび太のタケコプター。そこにジャイアン分の荷重が加わり、高度はグングン下がっていく。
それでものび太はジャイアンの手を放そうとはしなかった。

場面は変わり、焚き火を囲むドラえもん一味。
何と日本を目指す旅の中断を余儀なくされてしまう。先程のプテラノ急襲で酷使しまくったタケコプターが、ついに壊れた為だった。
悪者から「ピー助を渡せば現代に戻してやる」という条件を提示されたドラえもん一味は悩んでいた。

スネ夫はこれ以上旅を続ける手段がない以上、悪者の条件を受け入れようと主張し、のび太は歩いてだって日本へ辿り着けると、苦し紛れの反論をする。
状況から判断して、誰が聞いてもスネ夫の意見が正論だと分かっていた。
ドラえもんもしずかちゃんも判断を保留しているものの、恐らくスネ夫に同調しかかっていたであろうその時。流れを変えたのがジャイアンだった。

「俺は歩く!!のび太と一緒にな!!」

ジャイアンはのび太への義理を立てたのだ。

このシーンで俺は泣いた。
ジャイアンとて本心は少なからずスネ夫と同じだったはずだ。
だが、のび太は我が身をかえりみず自分を助けた。さすれば自分はこの場においてどうするべきなのか?
命には命で返す。ジャイアンの出した答えがそれだった。
何という潔さ。とても十歳の子供が出来る芸当ではない。いや、子供だからこその潔さというべきか。

同じ事をしずかちゃんがやってもダメだ。感動が無い。いつもイイ子のしずかちゃんではなく、いじめっ子、わがままっ子の代名詞とも言われるジャイアンがそれをする事に意味があり、感動を巻き起こすのだ。

俺はこのシーンを境にジャイアンの虜になった。
もっとジャイアン(十歳)が見たい!ジャイアン(十歳)から人生を学びたい!
ここから俺とジャイアンの歴史が始まった。

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